富士・箱根・伊豆の道祖神
伊豆半島に広く分布する道祖神のまねきに導かれて、10年近くかけて多くの道祖神にお逢いしてきました。せっかくなので、伊豆型道祖神の分布や双体道祖神の伝播経路を調べたくなり、静岡県東部にも手を広げ、更に山梨県富士山北麓と神奈川県西部も探しました。
地域の人々が祀り、守られてきた道祖神は、少しずつ風化・摩滅していきます。このウェブサイトで道祖神の姿を記録しましたので、地域の人たちに存在を再確認していただき、大切に見守っていただければ本望です。
対象地域
静岡県伊豆: 三島市・伊豆の国市・伊豆市・熱海市・伊東市・下田市・函南町・東伊豆町・河津町・西伊豆町・松崎町・南伊豆町
静岡県東部: 富士宮市・富士市・御殿場市・裾野市・小山町・沼津市・長泉町・清水町+静岡市
山梨県南都留・峡南: 富士吉田市・富士河口湖町・西桂町・鳴沢村・忍野村・山中湖村・身延町・早川町・南部町
神奈川県西部: 箱根町・湯河原町、真鶴町、小田原市、大井町、開成町、南足柄市、松田町、山北町
総数:3,127基(見つかったもの) 2024/5/30時点
市町村別分布
2011/6/29から2024/5/30までに、3,127基の道祖神とお逢いすることができました。文献に載っていても、見つからないものも多数あります。逆に文献・資料に載っていないけれども、たまたま見つかったものもあります。
ひとつの場所に複数の道祖神が祀られていることもあります。最大は、湯河原・川堀の山神社の18基です。
市町村別の分布数(基数と場所数)を、基数の降順で表にしました。
市町村名 | 基数 | 場所数 |
---|---|---|
39市町村 | 3,127 | 2,341 |
富士宮市 | 417 | 355 |
小田原市 | 317 | 248 |
富士市 | 269 | 222 |
御殿場市 | 236 | 191 |
伊豆市 | 182 | 151 |
伊東市 | 177 | 61 |
沼津市 | 158 | 120 |
裾野市 | 152 | 106 |
南足柄市 | 131 | 100 |
伊豆の国市 | 94 | 75 |
三島市 | 86 | 62 |
小山町 | 85 | 69 |
湯河原町 | 75 | 18 |
身延町 | 72 | 54 |
熱海市 | 64 | 26 |
大井町 | 56 | 44 |
山北町 | 54 | 42 |
函南町 | 53 | 46 |
松田町 | 45 | 33 |
市町村名 | 基数 | 場所数 |
---|---|---|
富士吉田市 | 41 | 37 |
箱根町 | 35 | 27 |
長泉町 | 33 | 24 |
早川町 | 31 | 30 |
開成町 | 29 | 24 |
南伊豆町 | 30 | 27 |
東伊豆町 | 26 | 19 |
真鶴町 | 26 | 11 |
清水町 | 24 | 20 |
河津町 | 22 | 22 |
静岡市 | 22 | 10 |
忍野村 | 17 | 10 |
西伊豆町 | 16 | 13 |
下田市 | 15 | 15 |
富士河口湖町 | 13 | 9 |
松崎町 | 11 | 11 |
西桂町 | 5 | 5 |
山中湖村 | 4 | 2 |
鳴沢村 | 3 | 3 |
南部町 | 1 | 1 |
区分別分布
その他には、自然石・丸石・陰陽石・木祠・道標・神社・判読不能などを含みます。
- 峠、村境、辻、分かれ道などの境に祀られている神で、外から疫病や悪霊などの侵入を防ぐ守り神として祀られています。
- 道祖神は、”どうそしん”、”どうそじん”とも読みます。塞ノ神(さいのかみ)・道陸神(どうろくじん)・道勒善神・道福神・道禄神・道六神・衢祖神・猿田彦神・岐の神(くなどのかみ・ふなどのかみ)などとも呼ばれます。
- 地域によっては、"子供の神様"とも呼ばれます。江戸時代に流行した疱瘡で子どもたちが亡くなることが多かったので、疱瘡にかからないように願いを込めて祀ったのです。
- 道祖神の姿は様々で、丸石、神の像、夫婦の像や文字を刻んだものなどがありますが、ほとんどが石造物です。
- 他の石造物とは異なり、民間信仰から、自由な発想で造られてきた道祖神は、地方色や信仰対象の違いを反映して、様々な形態が生まれました。
- 道祖神を、地域によってはサイノカミと呼ぶところもあります。[サエノカミ]・[セーノカミ]・[セイノカミ]・[シャーノカミ]と呼ぶこともあります。
- そのサイノカミも、[賽の神][塞の神][歳の神][幸神][性の神]と当てられる字が変わります。
- 厳密には、当てられる字により、サイノカミに込められた祈りが異なるようです。
- 道祖神は平安時代までさかのぼれるそうですが、起源は不明です。民間信仰に支えられたため、様々な性格が与えられてきました。そのいくつかを紹介します。
- ●古事記のイザナギ・イザナミ神話から由来する説があります。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は死んだ伊弉冉尊(いざなみのみこと)に会いに黄泉の国まで行きますが、腐敗した妻の姿に恐れをなして逃げ出します。伊弉冉尊は怒り、伊弉諾尊を追いました。黄泉比良坂で伊弉諾尊は持っていたツブテを投げると、それが大岩となり、黄泉の国の入口を塞いで、伊弉冉尊を追い返すことができました。大岩は千引石と呼ばれましたが、道反大神・塞坐黄泉戸大神・塞ノ神とも呼ばれます。山梨に多い丸石は、この千引石を象徴したものと考えられています。
- ●伊弉諾尊が逃げる際に投げた杖から生まれた神が岐神です。
- ●瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から降りてきた時に、猿田彦神(さるたひこ)が先導を務めたとされ、最前線を護る神として、猿田彦神が道祖神として祀られることがあります。このことから、道行く人の無事を守ってくれる神として、道祖神・衜祖神・道陸神が祀られます。
- ●猿田彦神と天宇受売命(あめのうずめのみこと)とを双体で祀り、夫婦和合などの幸神としても信仰されています。夫婦和合=豊穣という連想から、豊作の神としても信仰されることもあります。
- ●中国の道祖(旅人を導き安全を祈る神)との習合により、道陸神と呼ばれることもあります。
- ●仏教では、生前の行いによって死後にどの六道に行くか決まりますが、六道のそれぞれの辻には、地蔵菩薩が立っているということから、地蔵信仰と習合して道祖神として祀ることも行われています。
- ●塞ノ神は、村境に立って、悪病などの侵入を防ぎ、村人(特に子供)を守る神とされてきました。どんど焼きで一年の厄落としします。賽の神(さえのかみ、しゃーのかみ)や岐の神、部落の入口で部落の無事息災を祈る幸神とも呼ばれます。
- 静岡県での最古の道祖神は、沼津-89a-単体道祖神で、貞享元年(1684年)です。最新の道祖神は、沼津-119-双体道祖神で、令和3年十二月に建立されました。
- Ⅰ 元禄から元文期(17世紀末から18世紀前半) 僧の姿(僧形)をした合掌像を主体とする時期。
- Ⅱ 寛延から安永期(18世紀中葉) 双体で握手する像が出現し、碑型・像容に変化が現れる。
- Ⅲ 天明から寛政期(18世紀末) 爆発的な双体道祖神の造立期。破風型碑・抱擁像・祝言像の出現。多種多様の碑型・像容が見られる。
- Ⅳ 文化・文政期から幕末(19世紀初頭から後半) 安定した造立期。合掌像の減少。自然石刳抜と持物像の増加。文字碑の造立。
- Ⅴ 明治以降(20世紀)
道祖神・賽の神は、青森県から島根県まで分布するそうです。東日本では、長野県、群馬県、神奈川県、山梨県、静岡県などを中心とする本州中部に集中し、西日本では鳥取県に多いと言われています。
双体道祖神は、神奈川県・群馬県・長野県・山梨県・静岡県に多く見られるそうです。
石仏や野仏という言葉を、聞いたり、口にすることはよくあると思います。狭義では仏である地蔵菩薩・観音菩薩・不動明王などを石材で彫り出したものです。道祖神は、神と名がついてますが、民間信仰の対象であり、石神とは呼んでいないようです。一般的には、道祖神、石仏や供養塔・道標などを総称する場合、石造物と呼ばれているようです。
私が道祖神に目覚めたのは、かんなみ仏の里美術館のガイド養成講座で函南町の仏像を勉強しているときでした。美術館の初代館長を務められた鈴木勝彦先生が、教員時代から調査されている石造物の事を知ったのがきっかけです。
函南町には五体の双体道祖神があり、南限にあたるとのことを教えていただきました。私は、尊敬する先生のお話であっても、自分で確かめないと受入ないという疑り深い性質です。まずは、鈴木先生が調べられた函南町の石造物の全てを追認しました。
それから、徐々に伊豆半島各地の道祖神を調べながら、双体道祖神が無いか探し始めました。趣味の写真撮影やジオパーク活動の際にも、道祖神にお目にかかることが多いので、相乗効果として楽しんでいます。
道祖神を探すヒントを得たり、ウェブサイトへの整理には、下記の文献を参考にさせていただきました。偶然に道祖神に出逢うこともありますが、先人たちの探索が無ければ、これだけの道祖神は見つからなかったでしょう。
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