どりびあ

道祖神にまつわる雑学を記してみました。

石造物に開けられた穴は何か?
長泉-17-伊豆型・頭に穴
小田原-56-双体・光背上に穴

道祖神に限らず、石造物本体もしくはその台座などに、すり鉢のような穴が穿たれているものがあります。
ネット上では、”盃状穴(はいじょうけつ)”と呼ぶことがあります。

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五穀豊穣、子孫繁栄などの願いから人為的に開けられたようです。


小田原-69-双体・石碑上に穴・すりこぎ石残る
清水-18-伊豆型・台座に穴

この穴で、男の子はモチノキなどの樹皮をスリコギで搗いて鳥もちを作ったそうです。女の子は、草花をすりつぶして色水を作って遊ぶこともあったようです。

石碑の上部に穴が開けられていたり、台座に開けられているものもあります。


南足柄-8-双体・前面に穴だらけ
沼津-68-伊豆型・顏と体に穴

道祖神の形態にかかわらず、穴がみられます。前面に多数の穴が開けられているものもあります。

石造物などに穴を開ける習わしがある地域は限られていて、偏っています。

神様の性別
沼津-18b-単体
伊東-57a-伊豆型/57b-伊豆型/57c-伊豆型/57d-伊豆型/57e-伊豆型

伊豆型道祖神と単体道祖神は、ニニギノミコトの道案内をしたサルタヒコノミコトと考えられます。猿田彦命は男の神様です。

男の神様であるにもかかわらず、女性がする短い垂髪(すいはつ)にしている場合が良く見られます。

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富士宮-316-双体・盃を持つ右神が男神
富士-166-双体・笏を持つ右神が男神

双体道祖神には、男神と女神が一緒に刻まれているものが多いようです。この場合、男神は猿田彦命であり、女神は猿田彦神の妻であるアメノウズメノミコトといわれます。ニニギノミコトの降臨の際に、アメノウズメノミコトはサルタヒコノミコトに、道案内を勧めたといわれています。

道案内としての信仰に加えて、男女一緒の姿から、夫婦和合・子授けの神としての信仰が派生したといわれています。

摩滅した道祖神などての性別の判断は難しくなります。元々性別が無い像もあるようです。性別についての決まりは無いようです。二体の神像を見比べた時、身長の違い・衣服・持物・髪の形などの見掛けで判断することができることがあります。

左右の神像の背の高さが、ほぼ同じものがあれば、左の神像が高いものや、右の神像の背が高いものもあり、統一されていません。

長野県には信州系と呼ばれる双体道祖神(抱擁か握手)が多く、9割もの双体は、向かって左に女神・右に男神を祀っているそうです。

新しく作られた双体道祖神の場合は、信州系の姿をとることが多く、男神と女神の区別は明瞭です。

丸石道祖神の起源
身延-41-丸石

日本神話にでてくる話です。

火の神であるカグツチを産んだ際にイザナミは火傷を負って命を落としてしまいます。 その後、妻を失い悲しみにくれたイザナギは、妻に会いたい一心で黄泉の国へ行きました。 真っ暗な洞窟を降りていくと、黄泉の国の扉の前に着きました。

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イザナギはイザナミに向かって「帰って来て欲しい」と声をかけると、扉の向こうから「黄泉の国の神に頼んでみますので、決して中を覗かずに待っていて下さい」と言うイザナミの返事。 イザナギはしばらくの間待ち続けましたが、なかなかイザナミは出てきません。

しびれを切らしたイザナギは約束を破り扉を開き、髪にさしていた櫛の歯を一本折って火を灯してしまいます。 するとそこには、醜い姿に変わり果てたイザナミがいたのです。 その恐ろしい容貌を見てイザナギは思わず逃げ出してしまいますが、姿を見られて怒ったイザナミは黄泉の国の醜女や雷神たちと共にイザナギを追いかけます。 イザナギは無我夢中で地上へと続く洞窟を駆け上がり、ようやく黄泉の国との境目「黄泉比良坂(よもつひらさか)」に辿り着きます。 そこには桃の木が生えており、それを目にしたイザナギは追ってきた黄泉の国の住人たちに桃を投げつけました。 すると桃が持つ魔除けの効果によって皆散り散りに逃げていったので、イザナギはその隙に黄泉の国へと続く洞窟の入り口を大きな岩で塞いだのです。

この謂れから、大岩に代えて、丸石を村境に置いて、悪弊が村中に入ってくるのを塞ぎ止めるようにしたのが、甲州などで発達した丸石道祖神の始まりと考えられています。


身延-49-丸石(二個)
早川-23-丸石(失われた)

丸石道祖神の中には、複数の丸石が祀られていることもあります。

台座だけで、丸石が失われた道祖神もあります。

隠居様
忍野-2a-双体(左が隠居様)
忍野-3a-双体(左が隠居様)

山梨県・忍野村では、古い双体道祖神の隣に新しく石祠型道祖神(中に丸石を入れる)を設けた場合、古い双体道祖神を”隠居様”と呼ぶそうです。道祖神としての役目を譲っても、敬意をもって尊重されています。

他の地域にも、一つの道祖神場に複数の道祖神が祀られていることが良くありますが、”隠居様”と呼ぶ風習は聞いたことがありません。

頭の無い道祖神
沼津-92-伊豆型(頭が無い)
沼津-112-単体(左像・頭が無い)・丸彫・立像

明治元年に布告された神仏分離令にともない、廃仏毀釈の運動が全国に広がりました。道祖神は仏像ではありませんが、区別のつかない人々により、破壊されたものが見られます。

伊豆型や丸彫の単体道祖神などは、頭を切断されたものがあります。後に、別の丸石や石材で頭を挿げ替えられたものもあります。

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中には、どんど焼きで火にくべられたり・投げられたりして、頭の取れたものもあるようです。


伊豆-27-単体(顏削られ)
富士宮-72-双体(顏削られ)

浮彫の単体道祖神や双体道祖神の場合は、顏や体が削られていることもあります。

文字碑道祖神? それとも標識?
富士宮-15a-文字碑(左像)・右像は自然石

複数の道祖神が祀られている祭場に、[道祖神]と刻まれた石造物が祀られていることがあります。これが文字碑道祖神そのものなのか? それとも、隣の石造物が道祖神であることを忘れないようにするための標識なのか悩むことがあります。

この例のように、古く大きな石造物が以前からの道祖神であることを後の人が分からなくならないように、新しく[道祖神]と刻んだ石碑を建てたのかもしれまん。

こういう例はいくつかありますが、ここでは文字碑道祖神として扱っています。

笏の持ち手
富士-8-単体(重ねた両手で笏を持つ)
沼津-3-単体(左手を上に笏を持つ)
沼津-23-単体(右手を上に笏を持つ)

単体道祖神や双体道祖神の中には、笏を持つ道祖神が見られます。

笏の持ち方は、両手を重ねて持つ・右手を上にして持つ・左手を上にして持つ、のように様々です。

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沼津-94a,b,c-伊豆型(右手で笏を持つ)

笏を片手(右手)に持つものもあります。

笏は、上辺はゆるやかな円弧で、下辺は方形でやや細くなっています。象牙やイチイの木で作られたそうです。

推古十一年に定められた冠服の制度に、正装(束帯)の時には、笏を右手に持つことが定められました。威儀を整える目的に加えて、複雑な式次第を書いた紙を裏に貼ることもあったようです。

お地蔵さん? 道祖神?
熱海-13-伊豆型(僧形だが道祖神としつ祀られている)
富士-61-伊豆型(赤い頭巾と涎掛けでお地蔵さんとして祀られている?)

単体道祖神は、僧形の姿をとることがあり、お地蔵さんとの区別がつきにくい。

道祖神が子供を疫病から守ってくれることから、お地蔵さんが子供を守るという信心と習合して、道祖神も合掌したり、宝珠を手に持ったり、袈裟が肩にかかっている、赤い頭巾・涎掛け、などの地蔵さんの姿をしていることがあります。

お地蔵さんの場合は、台座が蓮華座であったり、錫杖を持っていることから、道祖神と区別できることもあります。

石祠・木祠 道祖神の判断
沼津-105a-石祠(左像・祠内に小さな球石)
富士河口湖町-9b-石祠(中像・正面に[道祖神]の文字)

石祠や木祠が道祖神として祀られていることもあります。でも、石祠や木祠は、道祖神以外の山神・水神・稲荷などを祀ることもあります。

祠内に納められている神札(紙・木片に[道祖神]などの文字)や、小さな単体・双体道祖神の石造物、丸石などがあれば道祖神の祠と考えられます。

富士河口湖町の石祠には、台座や蓋に[道祖神]を刻んでいるので、間違えようがありません。

祠内が空だったり、開けることができない場合は、土地の人に確かめる必要がありますが、土地の人も知らないことが多いです。

賽物
賽物(石臼・五輪塔)松田-12-双体
賽物(陰陽石)富士-26-単体

道祖神の前や祭壇前に、種々の賽物が供えられていることがあります。神仏と習合して、水・お酒・ジュースやお菓子、賽銭、シキミを供えることは一般的です。

五輪塔の一部をゴロ石として供えたり、宝篋印塔の九輪を供えたり、球石・石臼・陰石・陽石をお供えしています。

季節の野菜や果物を目にすると、大切にされていることを実感します。

曳車
曳車(右)-沼津市東町-神社
曳車 函南-14-双体の左

北伊豆の道祖神が祀られている祭場や神社に、木でできた小さな台が保存されています。

年末や小正月前に、子供たちが集落をひいて巡回して、金品(お飾りを集めることも)をもらい受ける風習があります。

曳車には、四輪や三輪の車がついているものと、ついてないものがあります。

ドンド焼き
函南・桑原日向-オンベ
函南・桑原日影-ドンド焼き

ドンド焼きは、小正月(1月15日)前後に行われる火祭りです。道祖神近くの広い場所(主に畑)に、オンベ竹(御幣竹)や御神木を立てて、お正月のお飾りを燃やして、厄落としとする行事です。

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場所によって、ドンドン焼き、トンド焼き、サイト焼き、サイトバライ、サギチョーと呼ばれています。ドンド焼きの風習が無い地域もあります。

ドンド焼きの火で、団子を焼いて食べると、病気にならない。書初めを煙に乗せて高く上ると字が上手になるとも言われています。ドンド焼きの灰を、家の周りにまくと、蛇が来ないとする地域も。

年末や小正月前に、子供たちが集落をひいて巡回して、金品(お飾りを集めることも)をもらい受ける風習があります。

ドンド焼きを行う場所は、河原や畑などの回りに燃える物が無い場所を確保しなければならず、道祖神のすぐそばとは限らない。

小正月の十四日朝に行いところが多いが、生活習慣や環境から、変わってきている。子供たちが少なくなった、どんど焼きをやる場所がなくなったことなどから、やらなくなった土地も増えています。

道祖神を探すこつ
GoogleStreetView
三種の神器(gps,カメラ,PC)

道祖神を本格的に探すには、下調べと現地踏査、データ取得・整理が重要です。

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まずは、ネットや図書館(できれば、その地区の)で多様な情報を入手します。道祖神の種類・特徴・大きさ、画像など。

次に、かすかな情報から、場所の推定と特定を行います。GoogleStreetViewで見つかればラッキーです。また、先人が作ったGoogleMapsがあることもあります。大まかにこの辺で探すと決めることも多いです。

現地調査は、基本的には徒歩での調査となります。運転中に見つかることもありますが、運転しながら探すのは危険です。調査する道祖神グループに最寄りの駐車場所を、GoogleMapであらかじめ探して出かけましょう。

駐車場所は、公共施設(図書館・公民館、等)の駐車場やスーパー・コンビニを利用することが多いです。可能であれば、広い路肩を利用することもあります。

慣れてくると、道祖神がありそうな場所に近づくと、ピンとくることがあります。集落の入口・旧道と新道の交差点、集落の中心・神社の周辺をくまなく探します。

ようやく見つけたら、位置情報の取得・撮影(周辺と現物を三方向から・露出に気を付けて・絞り開放に近くして、背景をぼかす)・記録(地名・種類・特徴・大きさ、他)を忘れないで行います。

地域の人に逢ったら、挨拶をかわしましょう。道祖神を調べていることを告げると、思わぬ情報を得ることがあります。また、道祖神が見つからなかったら、どんどん聞きましょう。

家に帰ったら、データベースなどに、記録します。gpsはカシミール3Dに記録すると便利です。撮影した画像はすぐに現像して、情報と共にブログにアップしています。

見つからなかった場合は、分かった情報から再度ネットなどで調べなおします。二度三度と訪れて、違った道や・方向から探すと、見つかる場合があります。

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